今日という日…。4月28日
4月28日は、サンフランシスコ講和条約が締結された日です。
昨年は「主権回復の日」として政府が式典を開き、大きな問題となりました。
私は昨年のブログにも書きましたが、沖縄の方から見るとこの日は「屈辱の日」。日本から切り離され、沖縄だけがアメリカの占領がそのまま続くことになった日でした。
私にメールをくれる石垣島の人が、沖縄の地元紙に投稿した文章を送ってくれましたので、掲載しておきます。
併せて、琉球新報の社説もご覧ください。
風化を憂う「屈辱の日」
沖縄の「祖国復帰」まで27年間のアメリカ施政権下にあって、私も高校を卒業して本土の大学に進学するまでの十数年を「復帰運動」の渦中で育った。
私の高校・青春時代は歴史用語で言ういわゆる「異民族支配」の真っ只中にあった。
「日本渡航証明書」を手に、私が「本土留学」した頃は、沖縄では「祖国復帰運動」がもっとも高揚していった時でもあった。
復帰記念日の5月15日に比べ、本土から切り離され「屈辱の日」とされてヨン・ニー・パーなどと呼ばれた「四・二八」の記憶は急速に風化が進んでおり、私は、この現状を嘆く。近年、この日を記念するイベントは八重山でも全く開かれていない。
復帰前の石垣市では、毎年4月28日、沖縄の本土復帰を求める集会が開かれた。当時、高校生だった私も学友と共に「日の丸の小旗」と「提灯」づくりでデモ行進に自主的に参加し、声を枯らしながら「沖縄を返せ」を歌った。
この唄が沖縄返還の闘いの力の一つになったことは間違いない。しかし、今考えてみれば基地負担の渦に巻き込まれている沖縄で、「沖縄を返せ」は「沖縄へ返せ」だ、「先人の苦労と知恵を無にしてはならない。」と語る、共に「マリズマ」を誇りにする我が郷土・八重山民謡の唄者大工哲弘さんの熱き思いが深く身にしみる。
わが国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増していることも事実。ここ八重山地域では、与那国町の自衛隊配備や竹富町の教科書問題、そして石垣市の尖閣問題などで、さらに苦難の道に直面している。国境の島の発展を摘みかねない国策には断固として「ノー」だ。
六二回目を迎える「屈辱の日」この間、沖縄で何が変わり、何が変わっていないのか、沖縄問題の原点の日である「ヨンテンニイハチ」に強く考えてみたい。
琉球新報の社説
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-224425-storytopic-11.html
戦後69年。戦争を体験した世代も少なくなっています。風化させない。それは、戦後に生まれた私たちの将来への責任だと思います。
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