2年5か月たった被災地
11日の日曜日から夏休みをとって、家族で旅行に行きました。
今年は3年ぶりに私の母のふるさとである、岩手県大船渡市に行きました。震災後初めて大船渡。子どもたちにも何回か言ったことのある大船渡市が被災し、どのような状況になったのか、そこに住んでいた人たちの思いがどうなのか、伝えたくて行ってきました。
大船渡市、陸前高田市、私が2年前ボランティアに行った石巻市、女川町を車で回りましたが、どこも震災当時のがれきなどは撤去されているものの、撤去された後には何もなく、まだまだ復興が進んでいるという状況ではありませんでした。
大船渡市の商工会議所の建物。
「かもめの玉子」のお菓子で有名なさいとう製菓の被災した建物がそのまま残されていました。ここを震災の記憶をとどめるために記念館などにしようとしたとのことですが、なかなかうまく進まなかったようです。
大船渡市の赤崎地区にあるがれきの選別所。道路の反対側は赤崎中学校があったところでしたが、今は何もありませんでした。
赤崎小学校の跡地。現在は小学校は、別のところで再開しているようですが、グラウンドは大船渡高校出身のJリーガーの小笠原選手が中心となって、子どもたちがサッカーをできるようにサッカー場に整備しました。
大船渡市は、大船渡線が通っていましたが、被災した後、線路の復旧がまだされず、当面の措置として線路をバス専用の道路に作り替えていました。しかし、住民は電車を通してほしいとの思いもあり、本当に当面の措置で終わるのか不安を抱えているようでした。
いずれにしても、「復興」とよべるように早く街の機能が回復することが大切です。
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コメント
単に地震での倒壊や火災からの復興とは違い、 津波被害からの復興はむつかしいですね。進まない理由の一つが政府の無策としても、もう一つに、土地に帰るかどうか決めかねている避難者が抱える不安もあると思います。いつまた津波に攫われるかもしれない土地にはもう住みたくないと言う人も大勢いると思います。復興と言うと、街の復興がイメージされがちですが、避難者の方々が、土地に戻らずに、生活を再生できる復興の道も真面目に検討すべき政治課題のはずです。どこまで進んでいるのやら。
投稿: やまもと | 2013年8月15日 (木) 14時03分