厚木基地でのNLPと原子力空母

5月22日から米海軍厚木基地でNLP(夜間離着陸訓練)が行われています。
この訓練は5年ぶりとのこと。神奈川新聞によると近隣住民から1500件を超える苦情が殺到し、視察した神奈川県知事も憤りをあらわにしたと記事になっていました。

5月21日に横須賀基地を出港予定だった原子力空母が急きょ出港を取りやめたため、訓練が厚木基地で行われることとなったようです。

私はまだ、この爆音を体験したことはありませんが、これだけの苦情が殺到することを想像すれば、その被害の大きさは尋常でないことはわかります。
横須賀市が原子力空母を受け入れるということは、日本のどこかでNLPの被害を受ける住民がいるということです。私たちは、原子力空母の問題を考えるときに、その方たちの被害をどれだけ想像しているのでしょうか?原子力事故が起きるのではないかという不安を感じる住民。そして現実に爆音の被害を受けている住民。

原子力空母の母港化がもたらすもの。その影響をもっと私たち横須賀市民は想像することが大切なように思います。
今日も静かな夜を迎えている横須賀。爆音に眠れぬ夜を過ごしている厚木基地周辺の住民。

子どもを寝かせているときに爆音の被害にあっている住民のことを想像し、眠れなくなった私でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

わずかな時間見ることができました

金環日食の話題で今日は持ちきりでしたね。

私も朝、金環日食を見るため空模様を気にしていました。7時ごろは雨が降っていたので、だめだろうと思っていましたが、7時30分を過ぎたころ、雲の間からうっすらと太陽が顔を出しました。その瞬間、子どもたちと一緒に金環日食を見ることができました。
奇跡的という感じで、子どもたちも大はしゃぎでした。

私が、金環日食をカメラで撮ったらどうなるかと思い、写真を撮ろうとすると長女が一言、「写真とかとっちゃいけないんだよ」と冷静に言われました。何ともこういうところは厳格な娘でした。

Dscf3237


写真は撮ることは撮ったのですが、やっぱり、観測用のグラスを通していないので、金環日食の様子はよくわかりませんでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

見られるか金環日食

いよいよ明日ですね。金環日食。
なんだか天気は微妙な感じのようですが、せっかくの機会ですから、見たいものです。

我が家でも娘が、観測用のグラスを持ってきました。友達にもらった?と言っていたようですが。
私もそれを借りてみる予定です。

Dscf3234

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学童保育の充実のために

ピーコックさんコメントありがとうございました。国保の資料ですが、私が手に入れたのは、党県委員会が開いた学習会の時の資料ですが、その資料の元データは県の国保の資料だと思います。市の担当者も同じ資料を持っていたので…。まだ、確認していませんが、横須賀市が発行している「横須賀の国保」の中にも同じ資料が掲載されているかもしれません。

リコリスさんコメントありがとうございました。その時の情景が浮かんでくる素晴らしい文章でしたし、生まれたばかりの私にとっては、歴史の1ページを学んだようにも感じています。

今日は、学童保育に携わっている方に横須賀市の財政状況と施策の優先順位について話をする機会がありました。みなさん真剣に聞いてくれていて、関心が高いことがうかがえました。私も話をする機会をいただき本当に光栄に思いました。
また、何かの機会にお話しできればうれしいです。
みなさんありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

5月15日・沖縄返還40周年

昨日は、沖縄が日本に返還された記念の日で、本土復帰40年でもありました。式典も行われていましたが、私たちと同世代の方はどれだけ、そのことを感じたのでしょうか?

私は現在、40歳。40年前の5月15日は、生まれて5か月目でした。当然、この時の記憶もありません。しかし、その時の日本人の思いはどうだったのでしょう?そして、沖縄の方の思いはどうだったのでしょう?

実は、私のブログを見ていただいている方から、メールが届きました。以前にも一度紹介したことがあるのですが、その方は、石垣島の方です。40年前を思って書いた文章をメールで送っていただきました。

その一部を紹介しようと思ったのですが、どの部分を紹介しようか迷ってしまいました。ご本にはその文章を掲載することはまだ、伝えていないのですが、どうしてもその思いを私一人でとどめて置けないと思い、全文のせたいと思いました。
紹介させていただきます。

「天も泣いたその日の沖縄、そして八重山」 ―本土復帰40年の軌跡― 

今から四十年前の一九七二年五月十五日午前零時を期して、沖縄の復帰を告げるサイレンと汽笛がいっせいに鳴り響いた。四十七番目の「新生沖縄県」の誕生の一瞬である。同時に八重山三市町も復帰の夜明けを迎えた。復帰した時の胸の高鳴りは今でも忘れられない。

 その日、五月十五日―沖縄はしのつくような大雨。あたかも、戦後二十七年余にわたるアメリカ統治の“足跡”をあとかたもなく洗い流すかのように、また、疑問の多い“返還の実態”に多くの沖縄県民が怒りと、悔しさを流す涙であるかのように降り注いだ。四○年前のこの日、県民は激しい雨をついて、午後から那覇の与儀公園で大雨の中、復帰の内実を糾弾し、「核抜き本土並み返還」「基地なき平和な沖縄」を叫んだ。

沖縄の本土復帰を高らかに宣言する屋良朝笛知事の映像をテレビで見て感激したことを思い出す。知事の復帰宣言は「言い知れぬ感激とひとしおの感概」を表明しつつも「沖縄県民のこれまでの要望と心情に照らして復帰の内容をみますと、必ずしも私どもの切なる願望が入れられたとは言えないことも事実であります。そこには米軍基地の態様の問題をはじめ、内蔵する色々な問題があり、これらを持ちこんで復帰したわけであります」と言うものであった。

多くの難問を丸抱えにしたままの復帰は沖縄県民にとって必ずしも歓迎されるものではなかった、ということが知事メッセージからも伺い知ることができる。

私は、毎年めぐり来る復帰記念日を前に、喜びと悲しみが交錯した復帰前後の幾つかの場面を思い出さずにはおれない。そのなかでも、復帰の日の五月十五日のことである。

実は、復帰の日を何時にするかで、日米でもめたことがあった。日米がともに年度が変わる日を主張した。じゃあ、もめないじゃないないか!と、思うのだが、実は年度の変わり目は日米で違う。日本は、四月一日。ところが、アメリカは七月一日。で、最終的には、四月と七月の間をとって五月十五日になったのであった。復帰の日は、日米折衷案だったというわけだ。なぜ、五月十五日なのかがこれで解決?できるのではとしたことだ。しかし、二十七年間もの異民族統治下にあった沖縄県民の苦悩を頭越しに決められた「妥協の産物」には、今なお納得がいかない。

私も高校を卒業して本土の大学に進学するまでの十数年を「復帰運動」の渦中で育った。私たちの高校・大学の青春時代は歴史用語でいういわゆる「異民族支配」の真っ只中にあった。今思うと語り尽くせないほどの多くの思い出が浮かんでくる。

「日本渡航証明書」をもって私(たち)が「日本留学」した時代は、また沖縄では「祖国復帰運動」がもっとも高揚していった時期でもあった。沖縄をアメリカの施政権下に置くことの法制度的根拠となったサンフランシスコ講和条約が発効されたのが一九五二年四月二八日だったことから、その日を「屈辱の日」とみなし、ヨン・ニー・パーなどとも呼ばれた。

祖国復帰記念日を前に私は、今なお、しっかりと大切に保管している身分証明書を取りだす。と、「本証明書添付の写真及び説明事項に該当する日本人・〈氏名〉は進学の目的で本邦へ渡航するものであることを証明する。」の文字が印されている。本土に行く時は「入国を許可」沖縄へ戻る時は、鹿児島港の税関によって「出国を許可」なのである。「沖縄県民は日本人じゃないのか」・・。怒りと違和感に満ち今なお、脳裏にしっかりとやきついた光景。パスポートを前に、当時の自分を思う。

 さらに、郷土八重山への愛着と差別への怒りを覚えた私、矢も盾もたまらず、当時(大学在学十九歳)本紙あて投稿、そのタイトルは「起て、八重山の学生諸君」。やるせない思いとして、「祖国の中の異邦人、その人間は、真の異邦人よりさらに辛く、情けなく悲しい運命だといえないだろうか」「琉球の若者は、島津の圧政下で完全に抵抗の具を取り上げられながらも、圧縮された若いエネルギーを空手を編み出し戦った歴史がある」「素朴の民族感情の沖縄解放を強く叫ぼうではないか」「共に起ちあがろう。忘れられた島に陽のあたるまで」。と、郷里の後輩達への熱烈な呼びかけをしている。今、読み返してみると、本土にありての率直なストレートな感情であったことを思う。

戦後六七年、沖縄が本土へ復帰して四○年、改めて偲ばれる。

沖縄県民が要望し続けてきた復帰が達成された七十二年、戦争で失った国土を、平和裏に、外交交渉で取り戻すことに成功したのは、政府の努力と国民の協力に負うものであった。しかし、その推進力となったのは、沖縄県民であったと自負してよいのではないだろうか。米国の統治下における矛盾、不合理の根本的解決は復帰以外にはないとの認識に立って、復帰という悲願を成し遂げた県民の英知とエネルギーは高く評価されたことはいうまでもない。

もろもろの現実を背景に復帰して四○年、復帰に託した願いはことごとく裏切られたと言っていい。さらに、国益と国策の名のもとに、沖縄差別は今なお続いている。手さぐりで体得した平和・自治・福祉の尊さを、再び沖縄県民はもちろん全国民に同じ屈辱と苦しみを味わわせないために国民世論および国の政治に反映させるのが沖縄県民の責務だと思う。

 四○年前の五月十五日の大雨は、まさに沖縄県民の「怒り」「悔しさ」を天もはっきりと結果を示した。私は、その日を「天も泣いたその日の沖縄」として深く胸に刻み、語り継いでいくこだわりを持ちたい」と決意を新たにしたい。

 「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になる。」の教えが導く。折しも復帰四○年の平和行進が初の与那国島を皮切りに沖縄県内全島へバトンタッチされる。それら、すべての一つひとつが「記録なくして記憶のリレーはない」との思いをいつまでも持ち続けていきたい。

という内容です。
私が生まれて5か月の時、同じ時間、石垣島でこのように感じていた方が、今私とこのブログで結ばれている。
私は、どうしてもこの文章を切り取ることができませんでした。この方の思いが詰まっているから。
いろいろな方の思いの上に現在が成り立っている。
そのことを私たちは、しっかり受け継がなければいけない。そんな気持ちを強くしました。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

横須賀市学童保育連絡協議会の総会

昨日は、横須賀市学童保育連絡協議会の総会があり、出席したのでブログを更新する予定でしたが、不覚にも子どもたちと一緒に寝てしまい、更新できず。朝になり、ハッとしてしまいました。

私もここ数年総会には出席していますが、本当に多くの来賓が来るようになりました。吉田市長をはじめ、小泉進次郎衆議院議員、県会議員、市会議員などです。
関係者の方が粘り強く働きかけた成果だと思います。もっともっと支援の輪が広がるといいですね。

総会では、市連協としての基調報告や指導員会としての報告などがありましたが、中でも2つの学童からの現状報告は、印象に残りました。
特に浦郷学童クラブは、現在の場所が耐震性もなく、道路の状況も良くないため小学校内への移転を要望するもなかなか認められない状況です。この切実な訴えは改めてドッキッとさせられました。
ぜひ、見に来てくださいとのことでしたので、今度見に行きたいと思います。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

都市整備常任委員になりました

今日、市議会第1回臨時会が開かれました。

今日の議会では、主に副議長や神奈川県内広域水道企業団議会議員などの役職を決めることと今年度の常任委員会の委員構成を決める議会でした。

私は副議長選挙に届け出をしましたが、41票の内5票の獲得で残念ながら副議長にはなれませんでした。とはいってもだいたいは予想できたものでしたが…。

さて、所属の常任委員会は、昨年の教育福祉常任委員ではなく、都市整備常任委員となりました。都市部、土木部、港湾部、環境政策部を所管しています。

今年1年、勉強しながら頑張ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

久里浜まちづくり推進協議会の総会

今日は、久里浜まちづくり推進協議会の総会があり、出席しました。

 久里浜まちづくり推進協議会は、京急とJRの久里浜駅周辺の活性化を進めるための組織で、私が市議会議員になる前は、再開発計画を推進することが中心的な目的だったようですが、社会状況の変化から、ハード面だけでなく、いろいろなイベントや駅周辺の交通課題などにも取り組むようになっています。

 以前は吉田市長もこの協議会に市議会議員の立場で参加していました。
市長は、自治基本条例を策定する中で地域自治組織というのを一つの目玉にし、町内会・自治会、社会福祉協議会、観光協会などの地域の組織のネットワーク化をはかり、新たな組織を作ろうとしています。私は、その地域自治組織について市長に質問したことがありますが、市長がイメージしている自治組織というものの原型は、この久里浜まちづくり推進協議会にあるのではないかと思うほど、この協議会はハード、ソフト面においてできるところから進めるという形ができているように思います。

 今後、このまちづくり推進協議会と地域自治組織がどのようにリンクしてくるのか、期待をもって見ていきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもと過ごしたゴールデンウィーク

ゴールデンウィークも終わり、子どもたちも小学校、保育園に元気に登校し、今まで通りの生活が始まりました。今年のゴールデンウィークは、めずらしく子どもたちと一緒に過ごすことができました。バーベキューをしたり、動物園に行ったり、映画を見たりと、遠出はしなかったものの子どもたちと遊ぶ時間ができたのはよかったです。
今日から気分を変えて、仕事に取り組みましょう。

 高塚旧太郎さんコメントありがとうございました。
私も人とあって話すことの重要性を感じます。ネットでのやり取りも悪くはありませんが、直接会って話すとより一層、その人の表情やしぐさなどでその人を感じ、理解できるように思います。憲法を守る世論を広げるためにも、これからもいろいろな人と会って話す機会を増やしたいですね。

 azechiruさんコメントありがとうございました。
就職活動頑張ってください。若い人が働きにくい社会になっていますが、これからの自分の形成のためにも働くことの大切さをしっかりと体験し、働くことの大切さをアピールしていきましょう。
さて、大阪での動きですが、私も心配になることが多いです。首相公選制、公務員や教育に関する条例制定の内容などなど、今まで積み上げてきた民主主義の制度を壊すような内容が多く含まれています。
今までの行き詰まりを何とかしてほしいという多くの方の気持ちはわかりますが、積み上げてきたいい部分と行き詰った原因を見極め、行き詰った原因を壊さなければ、何も解決しないと思います。
選挙が単なる人気投票にならないように、制度や仕組みをしっかりと考える必要があると思います。
また、コメントください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

5.3 憲法記念日

高塚旧太郎さん、コメントありがとうございました。メーデーのあいさつ聞かせていただきました。いきなりの壇上では、はっきりって戸惑いますよね。むちゃぶりなところもあったとは思いますが、それだけ多くのみなさんが仲間ができたことをとてもうれしかったことの表れだと思います。これから、大変なこともあると思いますが、みんなで力合わせて頑張りましょう。これからもよろしくお願いします。

さて、昨日は5月3日、憲法記念日でした。ゴールデンウィークとして、遊ぶことに目が行きがちですが、祝日の意味を考えることも大切なことだと思います。
昨日は、横須賀市民9条の会が開いた討論集会に参加しました。いつも憲法や今の政治情勢の話などを聞くことが多いのですが、参加者同士が、それぞれの考えを出し合う企画というのも大切な内容だと思います。

いろいろな話を聞いて学ぶことも大切ですが、その学んだことを受けて自分がどう考えているのか、声にだし、または文章にして表に出すこともとても大切なことです。表に出すことは誰かに自分の考えを伝えることですから、憲法の大切さを多くの人に広げるためには、表現すること、伝えることは絶対に欠かせません。

おそれず自分の考えを表に出すこと。その行動を促す意味で、とてもいい取組だったと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

«5.1メーデーに参加しました